大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

飯田簡易裁判所 昭和33年(ハ)119号 判決

長野県南安曇郡穂高町北穂高孤島一七番地

原告

加山英美

同県下伊那郡鼎町大字鼎四、二八八番地

被告

吉川義実

右当事者間の昭和三三年(ハ)第一一九号請求異議訴訟事件について、次のとおり判決する。

主文

被告が原告に対し、長野地方法務局所属公証人吉沢政雄作成昭和三二年第二二九号金銭消費貸借契約公正証書の執行力ある正本に基き、別紙目録記載の物件に対してなす強制執行は、許さない。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  双方の求める裁判

原告――主文同旨の判決

被告――請求棄却の判決

第二  請求の原因

一、被告から原告に対する債務名義として、主文第一項掲記の公正証書が存在し、右公正証書には、原告は被告から昭和三二年一一月二八日、金五万円を弁済期同年一二月二二日、利息年二割、期限後の損害金日歩十銭九厘の約定で借り受けた旨及び不履行の際は原告は直ちに強制執行を受くべきことを認諾した旨の記載がある。

二、そして、被告は右公正証書につき執行文の付与を受け、昭和三二年一二月一一日及び昭和三三年三月五日の二回にわたり、長野地方裁判所飲田支部駐在執行吏三浦繁雄を委任して、飯田市大字座光寺三、七三〇番地原告宅所在の別紙目録記載の動産に対し、差押をした。

三、然しながら、

①昭和三三年四月二六日、原告は、右公正証書の債務金五万円及び別に負担する約束手形金債務金三万八千円につき、その支払に代えて、原告所有の井上式全自動製繩機新品一台(時価金十万円相当)を被告に譲渡することにつき、被告の承諾を得、即時右機械を被告に引き渡したから、この代物弁済により、被告に対する右公正証書(及び右手形金)債務は消滅した。

②被告は(右代物弁済につき承諾を与えると同時に)本件物件についての前節記載の差押は解除する旨原告に対して約諾した。

四、右両理由により本件執行は許されるべきではないのにかかわらず、被告は本件物件につき差押を解除せず、競売手続を進行せしめているので、本訴に及ぶ。

第三  被告の事実上の答弁

一、請求原因第一項は認める。第二項中昭和三二年一二月一一日の差押については否認し、その余は認める。第三項は、機械の引渡を受けたことのみ認め、その余は否認する。(機械の時価及びそれが新品であることも争う。)

二、被告が右機械の引渡を受けたわけは、当事者間に、これを他に販売してその代金により本件公正証書の債務を弁済することとし、その売込先を見つける迄被告が機械を保管するとの契約が成立したためであつて、然るに、原告が販売に協力せぬので、事態が解決へと進展しないのである。

第四  証拠関係(略)

理由

被告から原告に対する原告主張の様な内容の債務名義が存在し、被告がこれに基いて、昭和三三年三月五日原告主張の様な強制執行をしたことは、当事者間に争がない。(但し、前年一二月一一日の強制執行については、成立に争ない甲第二号証の一により、この時の執行債権者は株式会社日本相互銀行であり、その有する別の債務名義に基き、三浦執行吏はその委任を受けて執行したものであることが認められる。)

問題は、昭和三三年四月二六日原被告間に成立した合意の内容である。

原告はこの井上式全自動製繩機一台は被告に売つたのだと供述している。然し代金授受は行われなかつたのであり、原告はこの機械を少くとも金十万円に相当するものとして、被告に対する本件公正証書債務を含む金八万五千円の債務を決済して貰うつもりでいたこともその供述から明らかである。成立に争ない甲第三号証(乙第一号証と同じ)における本件製繩機の「代物担保」という記載と合せて考えると、この「売つた」という表現から、原告に代物弁済的な気持が存したことは認められぬでもない。

然しながら、右甲号証の標題は「保管契約書」とあり、その内容は、(前記「代物」担保なる文言にも拘らず。)その所有権が原告に留保されつつ、被告方に「保管」されるべきことを明示している。被告供述によれば、この文言は原告の起草にかかるものであるが、原告自身は、機械を引き取つた被告が、これを第三者へ転売する時、時価よりやすく売つて、そのため、原告の被告に対する債務額金八万五千円に不足する額につき、更に被告から請求せられるに至ることを恐れ、それを避ける為に、原告に所有権を留保し、被告が機械を売却するのに立ち合うこととしたのだと供述している。これによれば、原告が被告に機械を「売つた」と考えているのは、法律的表現に無頓着であつたに過ぎず、「代物担保」なる表現は「担保」の方に重点があり、結局、原告としては、売却されれば当面の債務を弁済して余りあると信じた本件製繩機を被告に担保物として差し入れることで事態の解決をはかつたに過ぎなかつたと見るのが相当である。従つて、代物弁済によつて、公正証書債務が消滅したことを理由とする原告の請求は失当といわざるを得ない。

然しながら、右機械の引渡と同時に、被告が差押を解除することを約したとの原告主張については更に考察を要する。差押にかかる動産についての執行を免れる為に代りの機械を担保として差し入れたわけであるから、原告の主張は、執行目的物たる本件物件に関するいわゆる執行制限契約が原被告間に成立した旨の主張として理解できよう。

そこで、かかる主張が民事訴訟法第五四五条の請求異議の訴において、「異議の原因」として意味を持ち得るかどうかが問題となる。案ずるに、同条の訴は債務名義に表示された請求権につき、実体上の理由に基いてその執行力を排除しようとするものであるから、債務名義の執行力そのものを争わず、その使用の方法に関する合意の拘束力を主張する場合が、そのまま同条の予想するところでないことは、言うをまたない。然しながら、この種の執行制限契約は私法上の債権契約であつて、執行法上直接効力を生じて執行機関を拘束するものではないから、かかる合意に違反してなされた執行について債務者が救済を求める場合、同法第五四四条の執行方法の異議によることも、また妥当を欠くといわねばならない。むしろ、かかる執行がその合意即ち私法上の債権契約に違反し、実体上不当な執行であることに着眼すれば、その点において請求異議の訴の規定を準用する余地があると考えられる。(もしこの準用を認めぬとすれば、債務者は、単に事後的な損害賠償の請求を以て満足する外ないことになり、折角執行制限契約を結びながら、執行手続における救済を受け得ないという不当な結論に導かれざるを得ないであろう。)そして、この執行制限契約の効果は、執行開始以前に締結された場合と、執行開始後、その目的となつた特定物についてなされた場合とで異るべきものではない。原告は、かかる執行制限契約の事後的締結を本件請求異議の訴の「異議の原因」として主張しているわけであり、これは、主張として法律上理由なしとは言えない。

そこで進んでその主張事実の存否を判断しよう。

実際の成行としては、被告供述によつて認みられる様に、この製繩機はその買手がすぐ見付かる様なものではなかつたし、湯沢証人の証言によつて認められる様に、原告はその後間もなく座光寺での営業をやめて、肩書地に移転してしまい、地理的不便から、被告方に置かれた製繩機の販売につき、立会つて説明したりして協力することが困難となり、直ちに債権を回収しようとする被告の当初の目算は外れてしまつた。更に、被告供述によつて成立を認めうる乙第三号証によつて認められる様に、製繩機の値打ちを農機具店によつて見積らせ、部品一部の取替を要する中古品で、三、四万円にしか売れないとの結論を得るに至つて、被告の不安は絶頂に達し、差押解除どころではなくなつたので、本件争訟に立ち至つたわけであるが、こういつたその後の事情は無視して、当面の四月二六日当時における被告の心理を考えて見ると、問題は結局、製繩機の担保価値がその当時どの様に考えられていたかに帰することになろう。けだし甲第二号証の一、二で明らかな様に、はじめ原告は日本相互銀行からと被告からと、二重に差押を受け、本件物件については照査手続による差押がなされていたのであるが、原告供述によつて認められる様に、その後原告は日本相互銀行に対する債務について解決を得、差押を解除して貰つたので、残る差押債権者である被告と折衝し、その差押の解除をも得ようとして、差押物件外の本件製繩機を提供するに至つたのであるから、もし、当時これが原告主張の様な値打ちのあるものであると被告が納得していたとするならば、被告はその引渡と共に今迄の差押を解除しても、代償として得た新担保物件を処分することで充分自己の債権の満足は得られると考えるのが自然であり、従つて、差押を解除し、この物件については今後執行しないとの意思を表示したと見ることにも無理がないからである。否、もし、そう見ないとすれば、原告は、高価な新担保物件を差し入れながら、代償として何物をも得なかつたことになつて、却つて不自然の感を免れぬことになるのである。

そこで、問題の製繩機について考察するに、鑑定の結果によれば、この機械は比較的長時間の試運転を経た実演使用機と呼ばれる準新品であつて、新品とは区別されるが、既に実用に供された中古品というわけではなく、性能の程度も新品と変りなく、新品より一、二割下廻る価格で取引されるものと認められる。検証の結果では、多少泥を被つているところがあるが、これは須坂市での試運転後飯田市座光寺へ運ぶ際に附着したとの原告供述をまつまでもなく、新品同様との外見を害うものではないし、カツターの刃こぼれも鑑定、検証の結果と考え合せれば、それほど重視する必要はない。この現場の印象と、原告供述によつて認められる十万円前後の小売値とを考え合せると、この機械は当時被告によつて原告の債務を担保するに足るものと認められて引き取られた(引き取られたことは争がない。)と見るのが相当であり、前記の理路から、被告の差押解除、執行制限の意思を推定して差支えがないと思われるが、四月二三日本件物件につき競売施行のため執行吏として座光寺の原告方に赴き、債権者としての被告と債務者としての原告との示談交渉の結論を聞いた三浦証人の供述は、あたかも右指定の結論を裏付けるものである。よつて被告は製繩機の引渡と共に本件物件について差押解除、執行制限の意思表示をしたものと認める。

そうすると、被告は、――債務名義の執行力そのものは有効に存続しているから、他の物件に対して執行することは自由であるが――、本件物件については、製繩機の引渡を受けて以後は、差押を解除し、今後これについては執行しないという債務を負つたわけである。従つてこの点を理由として、本件物件についての被告の執行の不許を求める原告の請求は理由があると言わねばならない。

よつてこれを正当として認容し、訴訟費用については民事訴訟法第八九条に則つて、主文のとおり判決する。

飯田簡易裁判所

裁判官 倉田卓次

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例